こんにちは、愛知メンバーのAyakoです😊
少し前のことになりますが、上級の試験に合格し、黒帯になりました!
入門したばかりの頃は
「本当にあんな技ができるようになるの?」と、遠い世界に思えていたもの。
それが、「ここまで来られたんだ」と思うと、感慨深いです。
けれど、学ぶべきことはまだまだ多く、むしろここからが本当のスタート とも聞きます。
居合の試験では 「もっと斬っている感じを出して」 とフィードバックを受けました。
「斬る」とは、どういうことなのか?
そんなとき、狩猟を生業とするメンバーさんが、こんなアドバイスをくださいました。


確かに、食材を切るときは、
ただ包丁を押し込むのではなく、刃の角度、引き方、流れ を意識しています。
それと同じように、刀をただ振るのではなく、
「斬る」ための動き がある。
そこに意識が向いていなかったことに気づかされました。
「愛と調和」と武術は矛盾するのか?
「斬る」について考えていた時、ある方の話が話題に上がりました。
その方は「古武術」や「エネルギーワーク」に興味を持ち入門されました。
ところがしばらくすると、
🌀 『斬る』『攻撃する』ということに違和感を感じるようになった
🌀 愛と調和を大切にしたい自分にとって、攻撃の型を学ぶのは違う
と考えるようになったそうです。
確かに、古武術は「戦場で生き抜くための技」 であり、
つまり 「相手を倒す」ための技術 です。
では、その方の言うように、
『愛と調和を大切にする生き方』と武術は、本当に相反してしまうものなのでしょうか?
攻撃性とどう向き合うか
私たちは、どんなに穏やかに見える人でも、
心のどこかに “攻撃性” を抱えているものだと思います。
私自身、お稽古を通して、それまで意識してこなかった
自分の中の攻撃性に気づく場面がありました。
また、攻撃性は、感情と深く結びついていると思います。
例えば…
💼 仕事のプレッシャーでストレスが溜まり、家族や友人に八つ当たりする。
💔 悲しみが怒りに変わり、「どうして分かってくれないの?」と攻撃的になる。
🎤 ライブでテンションが上がりすぎて、周りを押しのけて前に出ようとする。
こんな経験、あるいは周りで見聞きしたことはありませんか?
感情は、時に 無意識のうちに攻撃性へと変わる ことがあります。
でも、それは決して悪いことではなく、自分を守るための本能の一部 なのかもしれません。
だからこそ、ただ 「攻撃を否定する」 のではなく、
正しく向き合い、コントロールすることが大切 だと感じます。
⚔ 武道の達人がむやみに人を殴ることがないのは、「自分の力を知っている」から。
💡 本当に強い人ほど、無駄な攻撃をしない。
それは、武術だけでなく、日常生活にも通じることだと思います。
「命」に向き合うということ
そんなことを考える中で、ある話が思い浮かびました。
「豚を育てて食べる授業」 をご存知でしょうか?
🐷 「命を奪うのはかわいそう」
🥩 「でも、普段食べている肉とどう違うの?」
など、賛否が分かれ、映画にもなった実話です。
この授業については、
💭 「子どもたちの心に負担をかけすぎるのでは?」 という意見もありました。
💭 「普段、当たり前のように食べている命に意識を向ける貴重な機会になった」 という声もあります。
私たちが食べるお肉は、自分で手を下していなくても、
誰かが代わりにそれを担ってくれたものです。
そして、たとえ肉を食べなかったとしても、植物や微生物の命を取り入れて私たちは生きています。
だからこそ、「命を大切にする」とは何かを問い続けることが、
「愛と調和」を実践するひとつのヒントになるかもしれません。
日本には「いただきます」「ごちそうさまでした」という習慣があります。
それは単なるマナーではなく、
🙏 「命をいただく自分を許し、命に感謝し、謙虚に生きる」
—— そんな精神につながるものだと感じます。
「許し、感謝し、謙虚に生きる」—— これは、FOLの10の理念のひとつでもありますね。
「愛と調和」のために、武術を学ぶ
もし私が、自分や世界への理解が乏しかったなら——
何かのきっかけで無意識に誰かを「攻撃」してしまうかもしれません。
でも、知っていれば選択ができる。
そして本当に必要なときに力を使うことができます。
武術を学ぶことは、ただ戦いの技術を身につけることではなく、
「力をどう使うのか」「命(相手)とどう向き合うのか」を学ぶことでもあるのではないでしょうか。
✨ 「攻撃」を学ぶことは、「調和」を学ぶことでもある。
私は、これからもこの学びを深めていきたいと思います。
💡 あなたは、「攻撃」と「愛と調和」について、どう考えますか?
体験会や稽古会で、ぜひあなたの考えも聞かせてください😊